観測史上類を見ない猛暑をクーラーなしで乗り切りした、第七警察。
人類史上まれにみる汗腺の発達を遂げた第七警察の胸筋・背筋部はまさにダイナミック&ダイナマイト。
エコロジー大賞を受賞したい気分です。
さて。
「プロジェクトA」
パンフレットです。
ジャッキー・チェンのカンフー映画がテレビ放送された翌日の学校は、廊下でジャッキーごっこをする男子大量発生だった昭和のあの頃。
一回は敵にやられるのだが、 師匠の修業で力をつけ、最後は敵を倒す…というハングリー精神のかたまりのサクセスストーリーが典型パターンなんだけど。
第七警察はもちろん、体育会系ではないけど、ジャッキー映画で、人間が持つべき大切なものを少しは学び、感じとれた気がする。
いまどきのアクション映画は、クリエーターが作り出した映像作品としてのクオリティは素晴らしいものがあるけど、ジャッキー映画のような、生身の人間が演じるからこそ生まれるアクションのエネルギー、感動は全く感じない。(つまらないという意味ではなく。)
正直、ゲーム画面見てるような気分。
CGに金かけてるのはわかるけど、せめて俳優は厚みのある演技できる名優を使ってくれないと、逆に内容が薄っぺらく感じてしまうんだなあ。
勝手な想像だが、いまは規制だの、モンスターペアレンツだのの影響で、殴る蹴るの応酬のカンフー映画は教育上よろしくない暴力表現とかで放送できんのだろうか?
なんでもかんでも、いっしょくたにしてもらっては困ると思うんだけど、弱い者に手をあげる巷で問題のイジメと、カンフー映画の暴力表現は全く本質が違うと思う。
メディアの皆さんの、規制と苦情に対する配慮はわかるけど…。
故石原裕次郎の歌っていた有名な代表歌の歌詞、
「おいらはドラマー やくざなドラマー…」
を
「おいらはドラマー やんちゃなドラマー…」
に修正してしまう意図はなんだか悲しすぎる。
なにが問題だったのヨ?(泣笑)
作品(ここでは歌)に対する敬意とかってないのかな?
と、いうか「ヤクザ」という言葉で、世間体を気にしなけりゃならんくらい、今の世の中デリケートなの(苦笑)?
そんな世の中に殺伐とした事件、毎日のように起きてますけど…。
差別用語はいけないとは思うが、規制、規制でよくないもの、臭いものには蓋と、なにもかも削ぎ落としてしまった表現や教育で育ってきたいまどきの若者は、逆によくないもの、臭いものを知らずにいるのではないかな?
痛みや辛さを知っている者は、それを訳もなく、不用意に自分以外のものに与えようとしないし、あるいはそういう場面では躊躇すると思う。
「誰でもよかった」と、人に殺意な矛先を向けるような人が平然と街中を歩く世の中に、一体、誰がした?(泣)
昭和のアニメ、ドラマ再放送しようぜ!
最低限の「やっていいこと」「やっていけないこと」の分別がつくなら(教えられるなら)、昭和の映像遺産は、学ぶべき人生の教訓の宝庫だと思う。